バトミントンでの出会い

バトミントンでの出会い

中学生高校生の六年間、バドミントン部に所属していました。中学校では、放課後毎日の練習と、土曜日夕方は社会人の人たちに混じって練習していました。

 

中学校では、一年生の頃、一つ上の先輩に試合で勝ってしまったことが原因で目をつけられたりしましたが、構わず練習に明け暮れていました。中学校二年生で、東京都三鷹市の大会で優勝し、読売新聞に取り上げられました。高校進学は、家の都合で、公立の、普通科に通いました。バドミントン部には、東京都で三位になった人が偶然いて、同じチームメイトになりました。練習は、多摩川を10キロ走ったり、体育館での夏の筋トレは足がつってもつづけました。

 

しかし、公立校には限界があり、コーチなどは雇えないため、部長が自分でプロのバドミントン選手の元で練習し、その内容を部活に持ち帰ってやっていました。合宿は長野県の道を走りこみ、毎日吐くまで練習に励んで、その後の東京都の大会に備えました。東京都の大会は熾烈を極め、都立の高校では一番になりましたが、私立の有名校には敵わないまま、3年間が終わって行きました。

 

途中、顧問の先生が今で言う体罰が酷くて、他の先生に相談し、辞めてもらったり、エースが怪我を押して試合に出場し、さらに怪我をしてしまい、復帰が不可能になり選手生命を失ったことが原因で、高校一番のギャルに変貌してしまうなどありましたが、良い思い出です。


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